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2017年06月29日

ブラタモリ 水戸

ブラタモリの水戸の回をみた。
テーマは水戸黄門はなぜ人気なのか?だった。

水戸黄門こと徳川光圀は水戸藩の2代目の藩主。
1代目は家康の11男徳川頼房。なんで11男?と思って調べたら、尾張、紀州の徳川家は、それぞれ9男と10男だったから納得。
しかし、水戸藩は最初は御三家に入っていなかったくらい規模も小さいうえに、江戸に常勤であったため財政的に苦しかったらしい。
水戸城はただの櫓だみたいな建物で、門や堀は佐竹氏がつくったものを流用。
自分たちで堀をほったときは自然の谷をつなげるようにして節約。
とにかく「あるものは使う」という精神だったと案内役の人がいっていた。

光圀の業績としては城下町の拡張に必要な水道をひいたこと、「大日本史」の編纂をはじめたこと。
水道は白のあった大地から石をきりだし、湿地帯の中にうめる暗渠になっており、とにかくあるもので安く効率的につくられている。
大日本史編纂にあたって藩士を全国に派遣。これが水戸黄門の諸国漫遊の話の元になっているのではといっていた。

「あるものは使う」精神は人材の育成にもあらわれていた、光圀が人材を育てようとした精神をうけて水戸藩の学校「弘道館」が設立されたと弘道館の碑文に書いてあった。
また、偕楽園は弘道館とセットでつくられた教育施設で、弘道館で学んだあとは、偕楽園を散策して思索を深めよっていみだったらしい。
今有名になっている梅林は偕楽園の一部で、本来は表門から竹林をぬけてたどり着くところという想定だったらしい。今は直接梅林にいってしまうので、陰から陽への世界が失われてしまって残念と案内人がいっていた。
偕楽園は大名がつくった庭なのに池がない。これも「あるものは使う」精神で丘の上から見える千波湖を借景している。

水戸納豆は偕楽園のお土産で有名になったんだって。

偕楽園周辺の宿。ここは24時間鉱泉風呂に入れるそうです。
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posted by プリン at 01:57| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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